2008年5月13日火曜日

神から見た幸福は、自分(自我)を投げ捨て、神の愛を感じること、神の命に生かされているのをしること、それに感謝し、愛と平和に生きていることです。

神の目からみた幸福と人の目からみた幸福は違います。

人は物や金が豊かにあるとき幸福だと勘違いします。
あるいは、個人的な愛着を愛と勘違いします。

神から見た幸福は、自分(自我)を投げ捨て、
神の愛を感じること、神の命に生かされているのをしること、
それに感謝し、愛と平和に生きていることです。

そして、他人に愛を与えるときです。
それは、物や金を与えることでは、ありません。

誰もが神に愛されていることを知らせることです。
誰もが神の命に生かされていることを伝えることです。
なにより、神への感謝を伝えるだけです。

いいかえれば、私達自身が、常に神と向き合っていることを
祈りによりしり、祈りにより感じることです。

心鎮めるとき、誰もが、愛のことばを聴くことができます。

神様の愛はいつもあります。神様のメッセージは、いつも降り注いでます。

私達が、静に心鎮め意識がなくなるとき、それは、いつでも聴こえます。
誰もが、愛のことばを聴くことができます。
誰もが、神の愛に包まれていることを知ります。

そして、私達が、どうしようもなくなったとき、神はシグナルを送ってくださいます。
そのシグナルに気づいてください。

誰もが、メッセージを受け取ることができます。神は、すべてに愛を降り注いでいるからです。

誰もが、メッセージを受け取ることができます。
神は、すべてに愛を降り注いでいるからです。

神様は、すべてのなかにいらっしゃいます。
すべては、神様の愛の顕われです。


あなたに、メッセージをあたえたのは、
あなたでも(つまり、誰でも)、受け取れることを、すべての人に知らせるためです。
傲慢になってはいけません。
謙虚になりなさい。
人に対してではありません。私(神)に対してです。
私の言葉をそのまま伝えなさい。


はい


あなたが、こころ清く謙虚にしているとき、私の声は、聴こえます。
そうでないとき、私は、あなたを、打ち砕きます。
あなたの心が砕かれたとき、あなたが絶望に打ちのめされた時、
私のことばは、届きます』

はい、しかし、このようなことを、伝えると、誤解する人がいませんか?

『そのまま、伝えなさい。
私の声を聴くものは、(本当に)生き、私の声を聴かないものは、死にます(生きていても死んでいる)。』

はい

()は、注釈

『内なる声を聴くとは、神に従うことです。』『静に耳を澄まして聴いてみてください。あなたの内なる声を。』


静に耳を澄まして聴いてみてください。
あなたの内なる声を。
耳を澄ますのは、透明にすること。
耳をなくして聴きます。


はい


それは、肉体の声ではありません。
霊の声でもありません。
神の声です。
あなたの肉体も心も越えた奥からの声です。
言葉にならない声です。


はい


それは、一瞬にきます。
そして、やがて、解きほぐされ、言葉となります。
こうして、神様からのメッセージは伝えられます。


はい


いつその声が降ってくるかわかりません。
どこにいるとき、湧いてくるか知れません。

ただ、あなたは、その声がインスパイアされたとき、
静にしなければ、いけません。
静に耳を静寂にし、受け取ってください。
そして、静寂を保ってください。
静けさのうちに、神様は、ときほぐしていただいてます。

そのまま、まちます。
そして、そのまま、書きしるしてください。
それが、あなたへのメッセージです。


はい


あなたは、あなたが神を愛する程度に応じて、インスパイアされ、
あなたが勇気(神様への忠誠)をだすぐあいに応じて、人へ伝えることができます。


はい


(うちなる声を聴くこと)
それは、神への降伏です。
神への遜りです。
神に前面降伏するとき、あなたは、神と一体であることをしります。


はい


内なる声を聴くとは、神に全てに従うことです。


はい

()は、注釈